時間の日本史、読!了!!
「 時計 をより楽しむための知的栄養 」として網羅的かつ必要十二分。
この本を読めば、この分野の雑学合戦で負けなしになるかも?
オススメの一冊です!
─ 以下書評 ─
本書は2020年の時の記念日100周年展覧会がベースとなっている。
時と暦(その背景として天文学)、 それらの表示機構としての時計、 観測主体である人間にとっての時
同展覧会の内容を反映して、テーマも幅が広く、各章ともに充実している。
1章:日本の時、時計の始まり
日本独特の時刻制度や、和時計(時計の国産化)の歴史など、近現代以前の日本の時事情について非常に網羅的。
個人的にはこの章が特に白眉だと思う。
本章に登場する和時計のいくつかは国立科学博物館に展示されている加賀藩の「正確な不定時法」の実現の取り組みとその結果など、
本書を片手に実物を見に行くと、今までとはまるで違った目で楽しめるはず。
時刻制度・歴・和時計と、この情報量をよくこのページ数に圧縮したなぁと感心させられる。
卦算時計について触れていないあたりに、編集者の白刃を感じるのは穿ち過ぎか。
2章:明治・大正期に推し進められた「時」の近代化
産業や国家の近代化のために、国民意識も含めて、日本における時が大きく変ったことが示されている。
時報や標準時といった我々が当たり前に享受しているサービスは、様々な努力によって構築されたインフラであるとわかる。
一刻(2時間)の単位で緩やかに生きていた日本人が、
分単位というこれまでにない細かさで他者と同機することを求められるように変化させられた時代であり、
欧米の時間システムに日本が合流する過程でもある。
3章:時計生産大国への変遷
明治から現代まで、日本時計産業の発展におけるエピソードとそれが起きた背景を分かりやすく解説している。
各年代毎に具体的モデル名を上げて説明できるのは執筆者の広田氏ならでは。
日本の時計の歴史というと、まずクォーツショックが思い浮かぶ人が多いのではと思う。
本章で語られる、その実現を可能とした高い生産性と、その結果としての価格低下と生産体制の国外流出は、
日本の時計産業がそのまま勝ち続けられなかった理由を明らかにしている。
時計産業史については「時計工業の発達」という名著があるのだが、残念なことに第一次世界大戦の頃までしか書かれていない。
本書はその後の現代・近未来までを説明してくれているので、両方読むと一層理解が深まると思う。
4章:原子時計の発展と新たな世界の幕開け
現代の日本社会を支える、インフラとしての標準時、超高精度な時を作っている原子時計。
難しそうなこのテーマを、可能な限り平易な言葉でその仕組みを解説してくれている。
遠隔地の時刻比較の話も方法が気になっていたので勉強になった。
人間にとって認識できるのは精々秒単位までなのに、それ以上高精度を求めるのは何故か?
その疑問に答えるためには、多少とっつきにくくても、この章が必要だったのだと思う。
5章:天文学と時間学から俯瞰する「時」
開いた本をちゃんと閉じるような、なるほどなと思わされる終章である。
a.時と天文学
人間にとっての時間は、一日(地球の自転)、一年・四季(地球の公転)のどこに今いるのかを知るために始まった。
本質的には天文学の一分野。
日本の時間史の都合上、本書では触れられていないが、
西欧で時計が高精度化した切っ掛けも大航海時代に船が地球上のどこにいるかを知るためである。
人間の実生活では持て余してしまう程の超高精度な時を手に入れたことで、
GPSや電波天文学が可能となった。
古代に天文学から始まった時が、再び現代で天文学へと還元されているのは感慨深い。
b.人間にとっての時間
本書の作成の契機となった時の記念日100周年。
- 社会で共有された正確な時間に従って生きることの価値
- それがまだ定着していない日本人にその必要性を説く
これが時の記念日が100年前に創始された目的といえる。
それに対し、本章では「時というのは主観的なもので、一人一人がそれぞれに異なった時間を持つ」と説く。
全員が一つの時間に従って生きることが必要とされた時代から、
それに馴染み過ぎて余裕を失うことへの解決策として個別の時間の豊かさが求められる時代へ。
未来に開催されるであろう、時の記念日200周年では、
時と人間の関係がどのように総括されるのか気になる所である。
─ 以上、書評ここまで ─
拙い長文を最後までお読みいただき、ありがとうございますm(_ _)m!